宝湖と呼ばれる小川原湖の宝物
青森県の東部に広がる小川原湖。海水の塩分が混じる汽水湖で、様々な魚介類が水揚げされることから地元では「宝湖」と呼ばれており、文字通り食材の宝庫として知られている。
なかでもわかさぎや白魚は全国一位の水揚げ量を誇ることで知られている
小川原湖の西側に位置する東北町で居酒屋レストランえび蔵(ぞう)を営む蛯名正直さんは、小川原湖で水揚げされた魚介類をはじめとした東北町の特産品を提供する。
蛯名さんがそれまで働いていた横浜市から地元に戻りお店を開いたのは1981年のこと。約40年にわたって地元の食材を使用した料理を提供してきた。
ところでさりげなくご紹介した「白魚」。皆さんは読めるだろうか。
恥ずかしながら私はこのインタビューの機会を得るまでシラウオとシロウオの区別が曖昧だった。
小川原湖で獲れるのはシラウオ科の白魚(シラウオ)。素魚(シロウオ)と名前も見た目も似ているが、素魚はハゼ科で全く別の魚だ。
一般的に踊り食いされることで有名なのは素魚。名前も見た目もそっくりな魚ではあるが、白魚は網から揚げた瞬間に大半が死んでしまうほど繊細な魚で、踊り食いどころか市場に流通させることも難しい魚だ。
しかし、白魚を踊り食いできる場所は日本にただ一か所だけ存在する。
白魚を生きたまま提供する技術を持つのは日本で…いや、もしかしたら世界でただ一人。地元の漁師にも絶対に無理だと言われ続けた白魚の活魚化を実現したのが、NPO法人の「小川原湖しらうお研究会」の理事長も務める蛯名さんだった。
えび蔵は、きらきらと宝石のように透き通る生きた白魚を食べられるお店なのだ。
天下人の魚復活プロジェクト 蛯名さんだけができること
白魚は天下人が愛した魚と言われている。徳川家康の好物であり、透明身体から透けて見える脳の形が徳川家の家紋「三つ葉葵」に見えることから江戸幕府で珍重されていた。
隅田川河口の佃島という地域で水揚げされ、大名行列を止めてまで江戸城まで運んだという記録が残っているそうだ。
徳川家康がそれほどまでに愛した白魚は都市開発の影響で昭和20年頃を最後にその姿を消してしまった。
かつて江戸を代表する魚の一つだった白魚を復活させようとしている人がいる。
それが蛯名さんだ。隅田川を白魚が住める川にしたいという目標を持つ隅田川市民交流実行委員会という団体から受けたのが始まりで、50匹の白魚を放流した。
小さな魚をたった50匹放流しただけ。そう感じる方も多いかもしれない。
だが白魚を放流することができるのは日本で蛯名さんだけ。これが大きな第一歩となった。
蛯名さんはその後、自らの意思で隅田川に白魚を復活させるために奔走した。
2019年12月には白魚1万匹を新幹線で運び、隅田川に放流した。蛯名さんの技術で活魚輸送ができるようになったとはいえ、白魚は繊細な魚。輸送にあまり時間をかけることはできないため、自ら新幹線に持ち込んで輸送することにした。
蛯名さんの凄い所は活魚輸送の技術だけではない。イベントに必要な許可を全て自分で申請して、取得してしまう。
輸送に関係するJRの関係者や、イベントを開催するために必要な河川敷を管轄する東京都に直接手紙を書いた。
現在の徳川家の当主や歴代の東京都知事、当時の首相など、白魚に縁のある人には手紙を書いたり、小川原湖産の白魚を届けたり、直接コンタクトをとった。
蛯名さんが白魚復活プロジェクトを行うことができているのは、蛯名さん自身の努力と、それに賛同してくれる周り人たちの協力が結実した結果なのだ。
「ここにいて悶々としてたってしかたないでしょ。」
そう話す蛯名さんは楽しそうだ。
白魚を1万匹放流した1ヶ月後には屋形船を貸し切りにして白魚料理を振舞いながら白魚を放流するというイベントも考案し、白魚復活に向けてのチャレンジが軌道に乗ってくるかに思えた時だった。
新型コロナウイルスの流行の影響で予定していたイベントは中止となってしまった。
インタビューを敢行した2022年11月現在、まだ新型コロナウイルスは落ち着くことはなく、いつまた行動制限がかかってもおかしくない状況が続いている。
白魚復活プロジェクトの活動もほとんど行うことができていない。
「東京の川で白魚が見つかったら凄いことだよ。」
逆境の中でも笑顔で話す蛯名さんは、どんなに厳しい状況でも前だけを見ている。
放流できなくてもできることはある
蛯名さんはコロナ禍だからといって黙っているわけはない。
東京に行って放流はできなくても違う形で白魚を広める活動を行っている。そのうちの一つが水族館での展示だ。
日本に数多くある水族館の中で白魚を展示しているのはたったの2箇所だった。蛯名さんは東京都品川区の水族館に白魚の展示を持ちかけ、実際に展示まで至ったのだ。
さらに蛯名さんは白魚を地元の小学校に教材として提供した。
白魚は生きている状態では身体は透明。骨の構造などを観察するのにもってこいの魚なのだ。
蛯名さんは東京荒川区の小学校に向けてオンラインで勉強会を行った。
東京には白魚神社など、白魚に関する施設がたくさんあるそうだ。理科の授業にとどまらず、歴史を学べる教材でもある。
これらの蛯名さんの活動に興味を持つ人は多く、問い合わせや資料を請求されることも多い。中には東北町を実際に訪れる人もいるほど蛯名さんの活動の注目度は高い。
東北町のうまいものが揃ったお店
蛯名さんが提供する食材は白魚だけではない。ここまで紹介してきた白魚は蛯名さんが提供する食材の中で代表的なものの一つで、地元東北町の特産品を中心に様々な食材を提供している。
水揚げ日本一のわかさぎはもちろん、シジミを使ったラーメン、天然のうなぎなど、小川原湖を代表する食材は蛯名さんのもとで食べることができる。
東北町が町おこしの一環で栽培を開始した紫黒米もその一つだ。紫黒米とはその名の通り見た目は真っ黒なお米で、一般的な白米と一緒に炊き上げると紫黒米の色素が白米にも移り、綺麗な紫色になる。独特の色や食感が楽しめるだけではなく、ポリフェノールやビタミン、ミネラルなどを含む健康に優しい食品だ。
えび蔵では白米に混ぜたご飯だけではなく、紫黒米の粉を混ぜこんだラーメンなどの麺類も豊富に提供している。
実はこの紫黒米も天下人が食していた食材だ。今から2000年以上前に中国を統一した秦の始皇帝に献上されていたお米と言われている。
日本と中国の天下人が愛した食材をえび蔵では一緒に味わうことができる。
歴史が大好きな人にはたまらないロマン溢れるメニューだ。
自宅でわかさぎを?独創的なアイディアと細かな気配り
そして東北町の特産品として忘れてはいけないのがワカサギ。
前述の通り、小川原湖のワカサギ水揚げ量は全国一位。冬になるとワカサギ釣りを楽しむ人が大勢訪れることでも有名だ。
ワカサギ釣りといえば極寒の氷上にテントを張り、小さな穴を開け、糸を垂らしてワカサギの当たりを待つ…。冬にしかできない楽しいイベントだが準備はかなり大変だ。
そんなワカサギ釣りを気軽に楽しんでもらおうと蛯名さんは毎年冬になるとワカサギ釣り堀をオープンする。冬期は使用されない小川原湖畔のバーベキューハウスを借りて運営しているそうだ。
釣り堀に来たら必要な道具は全て揃うし、釣果がゼロということもない。
釣り場で釣れなかった釣り人が訪れることもあるそうだ。
お子様連れでも気軽にワカサギ釣りを楽しむことができる。追加料金で釣ったワカサギを唐揚げにしてくれるサービスもある。
さらに蛯名さんはあるサービスを立ち上げた。それが「ワカサギすくいセット」の販売だ。
このセットは文字通り、金魚すくいならぬワカサギすくいを楽しむことができるセットだ。
生きたワカサギと、水を循環させるモーター、すくい網のセットを全国に発送する。
ワカサギすくいセットは、新型コロナウイルスの影響でなかなか外出できない人たちに向けて、自宅でもワカサギの美味しさを味わってもらえるように商品化された。遠くは関西から注文を頂いたこともあるそうだ。
このワカサギすくいセットは、白魚を活魚として扱う技術を持つ蛯名さんだからこそできた商品だ。
お客さんを楽しませたいーー
ワカサギ釣り堀やワカサギすくいセットには蛯名さんの想いが詰まっている。
輸送中に死んでしまうワカサギがいるかもしれないから本来50匹入りのところを100匹入りにしたり、針が刺さると危ないからワカサギ「釣り」セットではなくワカサギ「すくい」セットにしてみたり。
細かいところにお客さんのことを第一に考える蛯名さんの優しさが反映されている。
日本全国が注目する蛯名さんが追いかけるロマン
インタビューの最後に、お店の奥にある座敷席に案内してくれた。
靴を脱ぎ、座敷に上がると蛯名さんが受けた取材の記事が壁一面に飾られていた。
これまで蛯名さんは数多くの取材を受けてきた。新聞、雑誌、テレビ。その中には誰もが聞いたことがあるような全国ネットのテレビ番組もあった。
取材記事の数にも驚くが、本当に凄いのは取材を受けた記事の題材の多さだ。
本記事でも取り上げた白魚やワカサギ、紫黒米はもちろん、なかには小川原湖で水揚げされた巨大ウナギや黄金ウナギに関する記事まである。
白魚といえば、そして東北町・小川原湖といえば蛯名さん!というくらい強いイメージが定着しているのかもしれない。
「せっかく来てくれたんだもの。忙しくても取材は受けるよ。」
蛯名さんのもとに取材が殺到するのはその活動や知識よりも、人柄による部分が大きいのかもしれない。
この部屋にはこれまで蛯名さんが東北町と共に歩んできた歴史の全てが詰め込まれている。
部屋に飾りきれなかった記事や、関係者に向けて書いた手紙が収められているファイルもある。
「手紙は筆で書くわけじゃない、パソコンで書くからね。」
蛯名さんは大したことではないというように話すが、そのファイルは驚くほど分厚く、その資料の多さに驚かされる。
ファイルの厚みはこれまで重ねてきた努力の量を物語っている。
色々な記事や資料を見せて頂き、お話に夢中になっている内に辺りはすっかり暗くなっていた。予定の時間はとっくに過ぎていたが、蛯名さんは最後までインタビューに答えてくれた。辺りはすっかり暗くなり夜の営業時間が迫る中、最後に蛯名さんはお土産に貴重な紫黒米を持たせてくれた。
インタビューの最後にライター加藤が「今度はプライベートで飲みに来ますね。」と伝えると笑顔でこう返してくれた。
「八戸はすぐそこだからね。今度ゆっくり白魚談義でもしましょう。」
これだけお話を聞いてもまだまだ白魚の話はあるようだ。天下人が愛したメニューを食べながら、蛯名さんのお話を聞いて歴史に思いをはせるのもいいかもしれない。
徳川家康や秦の始皇帝が成し遂げたことに比べたらはるかに小さなことかもしれない。しかし、蛯名さんが成し遂げたこと、成し遂げようとしていることは間違いなく歴史の1ページに刻まれる。
ライターメモ
店内にはプロバスケットボールチームの青森ワッツのボールや、プロ野球選手のサインボールが飾られていたのでスポーツがお好きなのかと思ってお聞きしたが、これまで務めた観光協会の会長や商工会の会長時代の繋がりでもらったものだそうだ。
「町長以外は全部やってるから」と話す蛯名さんは東北町にとって町長と同じくらい存在感のある人なのかもしれない。