ごぼうが空を飛ぶ?ちょっと変わったごぼうが笑顔を運ぶ夢のプロジェクト
「次の取材先は空飛ぶごぼうPROJECTさんです。」
六景楽市推進委員会からこう告げられた瞬間、脳内はたくさんのクエスチョンマークで埋め尽くされた。ごぼうが?空を?PROJECTということは何かの計画?それともお店の名前?
一度聞いたら忘れられないインパクトを持つ空飛ぶごぼうPROJECTについてはこのレポートに記していこうと思うが、まずはこのストーリーを読んでほしい。
ごぼうの作付面積・出荷量ともに全国一位の青森県の中でも、最も栽培が盛んな「大空のまち三沢」のごぼうを美味しいお土産にして飛び立たせよう…そんな思いを込めて空飛ぶごぼうPROJECTの代表・金渕良子(かなぶちよしこ)さんが考え出したストーリーだ。
くすっと笑えるストーリーに、ちょっぴりキモカワイイごぼうのキャラクター。「空飛ぶごぼうPROJECT」は金渕さんの、みんなを笑顔にしたいという思いが生みだしたプロジェクトだ。
海産物のお土産を作るはずが…なぜかごぼうが空へ
空飛ぶごぼうPROJECT代表の金渕さんは八戸市出身。お菓子作りの専門学校を卒業した後は誕生日ケーキを作る仕事をしていたこともある。結婚後は転勤族だった夫と県内外での生活を経験し、遠くは沖縄県に住んだこともあった。
八戸市に戻って仕事を探している時に、ハローワークで「6次化」、「商品開発」というフレーズに心躍り三沢市雇用創造推進協議会の6次産業化チームの面接を受けたところ採用され、八戸市から通って三沢市のお土産物を開発することになる。
「八戸だと海産物の珍味とか、お土産を配るときに出そうと思えば出せるんですよ。三沢にはそれがなかったんです。でも三沢と周辺地域の食材は凄く良くて、例えば夫の従兄弟からもらったスルメイカを見た時にビカビカと光っていてすごい色だなと思いましたし、夫の実家から送ってもらう長芋は粘りが強くて美味しく食べていました。」
たしかに三沢市は食材の宝庫で、様々な美味しい食材があることで知られるが、地元を知ってもらえる代表的なお土産物がなかった。
当時の金渕さんは採用面接で面接官に、三沢市の美味しい食材の中でもスルメイカと長芋を使って海産物のお土産物を作りたい!とアイディアを熱く語っていたそうだ。まだそのアイディアについては、金渕さんの中で大切に温められているため詳細は伏せさせて頂くが、その時点で既に商品のコンセプトや商品名まで思い描かれていたほどの熱意を込めたものだった。
「本当はイカと長芋を使った海産物のお土産を作りたかったのに、なんでごぼうなんでしょうね。」
実はこの協議会の活動は翌年3月で終了し解散することが決定していたため、金渕さんがこの仕事に関わるのは7月からの約半年間だった。その期間中に間に合うようなものを作る必要があり、いくつかあった試作品の中から最も商品化の可能性が高いと見込まれたごぼうのお土産づくりにシフトせざるを得なかった。
そして、金渕さんたちのチームは「大空のまち三沢から特産ごぼうのお土産品を飛び立たせよう‼」をスローガンに「ソラトブゴボウプロジェクト」を立ち上げ、六景楽市の登録商品「三沢おつまみごぼうはちみつりんご味」の原型となる「魅惑のふるーつごぼう」を完成させた。
このチームが作り上げたごぼうを甘く煮て乾かしたドライフルーツ状のごぼうは、当時活動をサポートしてくれていた青森県産業技術センター農産物加工研究所も、このために基礎レシピを開発し「ごぼうグラッセの製造方法」として成果発表をしたほど、前例のない商品だった。
因みに同じ製法の「三沢おつまみごぼう旨辛きんぴら味」の原型は「誘惑おつまみごぼうスパイシーきんぴら味」という、これもまた少し気になるネーミングだ。
チームでの活動が終了した後、金渕さんは短い期間ではあったものの一緒に取り組んだ関係者の思いを成果物で終わらせるのではなく、実際にごぼうの産地としての知名度を広げられるような商品にするため、そしてお土産にできる特産品がないことを残念に思っている三沢市の人たちのためにふるさと自慢したくなる商品を作ってあげたいという思いから創業したのが「空飛ぶごぼうPROJECT」の始まりだった。
畑に捨てられるごぼうから生まれたストーリー
空飛ぶごぼうPROJECT立ち上げ当時から看板商品として開発されたおつまみごぼうだが、農家や一緒のチームで働いていた方、研究機関や専門家の方々の意見が反映された製品となった。
「人には好みはあると思いますが、悪い商品じゃないよって思っています。」
と控えめに話す金渕さんだが、近年のイカの不漁時に他県の水産事業者がごぼうでおつまみを作ろうとした際には金渕さんが作る「三沢おつまみごぼう旨辛きんぴら味」ほど上手くできず、首都圏の展示商談会で驚かれたことがあるほど、全国に出しても類のない逸品だ。
しかし、空飛ぶごぼうPROJECTのスタートはとても順調とは言えないものだった。おつまみごぼうの原型はできていたものの、経営の経験もなく普通の主婦として過ごしてきた金渕さんは右も左もわからない状況で走り出すこととなる。周りからのアドバイス通りに補助金を活用して乾燥機の導入やホームページの開設をするなど積極的に動いてはいたのだが、いきなり大きな壁にぶつかった。それは申請した補助金の注意点でもある、商品開発完了まで販売できないという決まりだ。このことで「商品」とは中身だけでなくパッケージや食品表示を含め完成された状態のことなのだと痛感することになったのだ。
「始めは理解できずだいぶ悩みました。結局、モニタリング販売もできず、パッケージはデザイナーやコンサルタントに相談しながら制作し、やっと販売できたのは創業から一年後でした。」
商品を売ることができなかったおよそ一年間は、試作品を配布してはアンケートをとったり、セミナーや相談会で情報収集するなどして商品の研究開発をするとともに空飛ぶごぼうのストーリーを考えることに時間を費やしたのだった。
「ストーリーのない商品は売れないとアドバイスを受けて、夜な夜ななんでごぼうなのか?とごぼうが乗り移るくらいごぼうごぼうって考えていて、間借りしていた食堂二階の薄暗い部屋でパソコンに向かって一人で大泣きしながらストーリーを考えたんです。同じ環境で育ったごぼうたちは荷台に積まれていくのに畑の隅で遊んでいても気づかれず仲間にはなれないごぼう。。。ごぼうになった気持ちで読んでほしいです。このごぼうは大変だったんですから、本当に。」
金渕さんは少し語気を強めた。その裏には普段、何気なくごぼうを食べている我々がなかなか気付くことができないごぼうが持つ側面がある。
「ごぼうは野菜の中でも汚れものとして扱われることも多いんです。爪が汚れるとか処理が面倒くさいから料理したくないと言われたり、旬のごぼうを喜んでもらえると思ったら新鮮が故の独特の強い香りがダメな人もいました。販売できなかった頃に各地の試食会に伺って意見を聞いた時には、わざわざ近くまで来てごぼうが嫌いだと面と向かって言われたこともありました。」
金渕さんは少し寂しそうに話す。もちろん美味しい野菜で、好きな人も多いが、調理の手間や独特の風味を嫌がる人もいるようだ。だからこそ、ごぼうの大産地である自分たちの町を一人でも多くの三沢市の人たちに好きになってもらえたならと愛されるストーリーを考え始めたのだ。
創業以前の転勤族だった頃から夫の実家の畑で手伝っていたごぼうの収穫作業。ストーリーの主人公となるごぼうは、そのときの畑の中にいた。
「ごぼうを収穫しているときに、みんな畑の隅に何かポイポイしているんです。小昼(おやつ休憩)のときにその捨てられたものが何か気になって見に行ったら、ヒョロヒョロで脚を絡ませたごぼうでした。朝鮮人参とか宇宙人みたいな見た目の不思議ちゃんがたくさんいたんです。当時はキモカワイイという言葉が流行っていましたが、そんな感じです。」
たしかに空飛ぶごぼうのパンフレットなどに印刷されたキャラクターは愛らしいけれどどこか不思議で、キモカワイイという表現がぴったりだなと思った。金渕さんはこの不思議ちゃんたちを見て、なんとか食べられるようにならないかと考えた。
「私はお菓子屋さんに勤めていたとき、商品にならないケーキの端っこでスタッフのおやつを作るのが好きでした。畑の隅に捨てられたごぼうを見たときもそれに似たような感じで、これで何かを作ったら美味しそうっていうか楽しそうだなって。」
本当は食べられるのに捨てられているごぼうを価値ある物にすることが、ケーキの端っこで作るおやつと同じように、楽しさや喜びというエッセンスが加わって美味しさがグレードアップするように感じるというのだ。
「創業当時は規格外ごぼうでも洗浄機を使えばあっという間にきれいになると思っていたんです。食べられないところだけ捨てて粉にするとか加工できるのではないか?漬物なんてどうか?そんな風に使えたら農家さんの助けになれるかもと思っていました。その時は…」
金渕さんは実際に収穫の現場を知れば知るほど、その考えが難しいことを知った。畑に捨てられていたものをかき集めるだけでも凄く大変だし、洗浄機でも落ちない汚れもある。そのうえ、立派に育ったごぼうの選別作業でさえ一本一本機械の溝に手作業でセットするという膨大な作業が待っていた。
「後から考えたら夢物語でしたね。普通にごぼうを売るだけでも大変なのに、癖のある形のごぼうにまで手間をかけられないんだなって思いました。」
金渕さんは、本来ならおつまみごぼうも規格外ごぼうのなかでも不思議ちゃんたちを使って作りたいと思っていたようだ。
「前に、土に触れることは心の安定につながると、何かの記事で読んだことがありました。例えば、何かに行き詰まり気持ちが疲れてしまった時に大地からエネルギーを貰うというように、社会に適応するのが難しくなった人たちが空飛ぶごぼうの商品に使う規格外ごぼうの選別・洗浄作業を通じて大地とふれあい、人と交流して、ちょっとずつ社会性を取り戻せるような環境の仕事づくりも出来たらいいなと思っていました。」
金渕さんは、規格外ごぼうを使った商品の実現に向けて様々考えていたようだが残念ながら手間やコストの問題で実現できていない。しかし、空飛ぶごぼうのストーリーは、そんな規格外ごぼうを思いながら作られたのだ。
空飛ぶごぼうに重ね合わせたかつての自分
こうして生まれた物語は、空飛ぶごぼうのキャラクターが三沢おつまみごぼうはちみつりんご味の製造工程に合わせてストーリー展開していて、ムダ毛を処理したり、突然りんごのお風呂に入ったり、温風サウナでダイエットしたり、ちょっと変わったごぼうの楽しいお話となった。しかし、このお話には金渕さんの並々ならぬ強い思いが込められている。
「実はこのお話は涙と鼻水をなくしては語れないストーリーなんです。」
少し冗談めかして話す金渕さんだったが、そう話す通りにこの後は目に涙を溜めながらのインタビューとなった。
金渕さんが夫の転勤で沖縄に住んでいたころ、金渕さんのお母さんは地元の八戸で闘病生活をしていた。金渕さんも、少しの期間だけ看病のために八戸に戻っていた時のことだった。
「母に、元気になったら何がしたい?って聞いたんですけど、母は自分の欲のことは何も言いませんでした。一言「人のためになりたい」って言ったんです。私は善人じゃないのでそんな気持ちになったことはなくて、すごいなと思って。そんなこと言われても代わりに何もしてあげることができなくて。」
金渕さんは涙を拭いながら続けた。
「でもね。私は若いころから笑った顔だけは褒められるんです。だから笑った顔くらいだったら人に提供できるのかなと。もしも自分が母の代わりに、人のためになることがあるとすれば、笑った顔で相手を幸せにできたらいいなと思ったんです。それをごぼうに託したんですよ。ストーリーを読んだ人が、なんだろうこの変なごぼう?って興味を持ってくれて、なんでりんごのお風呂?と想像してくれてくすっと笑顔になってくれたらいいなと。」
空飛ぶごぼうのストーリーはただの面白いごぼうのストーリーというわけではなく、金渕さんの願いを込めたストーリーでもあったのだ。だから空飛ぶごぼうはストーリーの最後に、「多くの人たちを笑顔にするため」に大空へ羽ばたいていく。
「私には反抗期もありました。きっと育てにくい、面倒くさい子だっただろうなという子どもでした。はじかれたぼうと一緒ですよ。」
普通の人生を送りたいと思いながらもどこか規格外の人生を歩んでいると感じていた金渕さんは、これまでの自分の姿を規格外のごぼうに重ねていた。
「大人になってから他人と自分を比較して落ち込むことがあり世間に適応できないような状況もありました。そんな時でも大好きだよと電話をくれて愛情を注いでくれた、そんな母に何もしてあげられなかったんです。だから元気になったら何がしたい?と聞いて、私が代わりにできることだったら…と思っていたんですけど、まさか人のために役にたちたいと言われるなんて思っていなくて。」
農家さんの愛情と温かい大地に育まれたごぼうは、母の愛情で温かく育てられた金渕さんと重なる。空飛ぶごぼうのモデルは畑の隅にはじかれるごぼうであると同時に、金渕さん自身なのかもしれない。
「景色のいい所に住んでいたりすると、空を見上げれば雲がふわーっと流れていって…ごぼうと一緒ですね。畑の中にいると温かくて気持ちいいけど動けないんですよ。そんな中でふわふわとして気持ちよさそうな雲を見て、うらやましいってもんじゃないですよ。連れていけよって思って眺めてました。ごぼうと一緒の気持ちで。」
と、また笑顔が戻り始めた金渕さんが話す言葉は、空飛ぶごぼうと同じ目線で見た景色だった。
大空に飛び出したごぼう 今度は自分の足で歩きだす
空飛ぶごぼうPROJECTは遠くの誰かを笑顔にしたいという、壮大な夢を抱えて飛び立ち、毎年少しずつ実績を積み上げていった。それほどたくさん製造できるものでもなく、売り上げも劇的に伸びたというわけではなかったが、少しずつ知名度も上がってきて、金渕さんは三沢市のPRが出来ているかもしれないとやりがいを感じるようになり、なによりも活動が楽しかったという。
しかし、そこで立ちはだかったのが新型コロナウイルスの流行だった。現在は空飛ぶごぼうPROJECT立ち上げ当初から運営していたホームページを休止し、インタビューに伺う直前には自社売店の営業を休止し完全予約制に変更していた。販売エリアは県南地域に縮小され、ほとんどが委託販売での取引となっている。さらにいくつかの商品の製造も休止しているため、セット販売していたネット商品の掲載は取り下げとなっていた。
それでも経験のないことにチャレンジして、たくさんの大変な場面を乗り越えてきた金渕さんには気づいたことがある。
「雲なんて勝手に流されているだけじゃないかと思ったんです。だけど空飛ぶごぼうは自分で動いてるんです。自分で考えて動くということがどれだけ凄いことか。雲になっちゃいけないんです。自分で進まなきゃ。人にはそれぞれ心に闇があると思います。でも、くじけた時にダメだと思わず自分で進む力を持つことは大事だと思うんです。諦めるなと。」
現在、非常に大きな逆境の中に置かれた空飛ぶごぼうPROJECTは新たな一歩を踏み出している。自分の足で立ち、自分で選んで進む。ずっと空に浮かぶ雲を眺めては憧れていた金渕さんと空飛ぶごぼう。でも今は違う。
「自分の人生だから自分で決める。誰かが決めるわけでもなく整えてくれるわけでもない、もしそうだとしても自分にとって嫌なものであればそれはやらなくてもいいことだし。自分で選択できるというのは一番素晴らしいことなんじゃないかな。自分が考え抜いて選んだのなら後悔はないんじゃないかな。」
金渕さんは逆境のなかでも精力的に活動を続けている。その象徴と言えるのが空飛ぶごぼうプロジェクトが展開している「ごぼう de tea time」というお菓子ブランドだ。様々なお菓子やごぼう茶、そしてそのごぼう茶を使ったプリンなど、美味しそうなごぼうの商品がラインナップされている。
「おつまみごぼうにしても、お菓子にしても作るのにはなかなか根性が必要ですね。プリンは数年前に地元の高校生と共同で開発し、そのためにごぼう茶の焙煎を始め、プリン作りで余った卵白でお菓子も作るようになったんです。」
そして注目してほしいのが、ごぼう de tea timeのSNSだ。
FacebookやInstagramをのぞいてみると、ごぼうやお菓子の写真とともに金渕さんが書いた文章が掲載されており、その表現力に驚かされる。まるで、おとぎ話のような語り口で展開される空飛ぶごぼうワールドは、読んでいるとつい笑顔になるような楽しい記事だ。
空飛ぶごぼうPROJECTは、なかなか上手くいかないことも多く現在は低空飛行を続けているが、活動を続ける金渕さんのもとにはたくさんのメッセージが届く。
「本当にありがたいんです。マニアックな商品についてもいつ売るの?とお問い合わせ頂くこともあるので、そんな声があるから頑張れているんだと思います。ちょっとずつ、皆さんに喜んでもらえるような商品を作っていくので応援してほしいです。」
空飛ぶごぼうは応援してくれる方々の思いとともに、自分の足でまた飛び立とうとしている。
ごぼうの夢はまだまだ続く
インタビューの最後に、今後の空飛ぶごぼうPROJECTの活動について伺った。金渕さんは少し考えてからこう話してくれた。
「三沢のごぼうを使った加工品で産地の知名度を上げたいという思いを持った人たちが、空飛ぶごぼうという名前を活用してくれて後世につないでくれたらいいなと思っています。子どもたちがわが町自慢をしたいときにパッと出てくるものがないのは寂しいなと。うちの町には空飛ぶごぼうがあると言えるように、産地としての知名度をアップするために三沢の人たちに活用してもらえたらいいなと思います。」
母のようにはなれないけれど、と話していた金渕さんだが、空飛ぶごぼうPROJECTの活動や考え方は全くと言っていいほど自分の欲と無縁のものだ。ごぼうのお土産を販売するのはお金儲けのためではなく、ストーリーを作る理由も有名になりたいわけではない。全ては三沢市のPRのため。自分で育てた空飛ぶごぼうという名前も地元に還元したいと考えている。
「現在のおつまみごぼうの作り方はかなり手間がかかります。今のままだときっと誰も引き継いでくれないだろうなと思うので、ちょっと設備が整ったところで新しい作り方を研究しながら、誰でも作れるレシピにして残せたらなと思います。私も事故や病気を経験して、人生の折り返し地点も過ぎたので後世に残すことができるレシピを作りたいです。」
金渕さんには大きな夢がある。
「本当はストーリーを完結させたら絵本にして児童施設にプレゼントするのが一番の夢なんです。今のところまだ大きすぎる夢なんですけど。」
金渕さんの一番の夢は亡き母の思いと同じ、人のためになることだった。そしてその夢の背景には母への思いも込められている。
「実は母は小さいころに両親を亡くし、三人姉妹がバラバラで過ごさなければいけなかったそうなんです。母は昔人気だったみつばちのアニメになぞらえて、よく自分のことをみなしごだと言っていたんです。母のように寂しさがある子どもたちがいるなら、元気づけてあげたい。ちょっとでも笑顔になってほしい。笑ってほしい。なので空飛ぶごぼうのストーリーは、ごぼうを通して母に語りかけたストーリーでもあるんです。」
人のためになることがしたい。
金渕さんは母が遺した夢をしっかりと引き継いだ。そして母から引き継いだ思いはもう母だけの夢ではなく、金渕さんの夢となった。
金渕さんが描く夢は大きく、まだ手が届かないほど空の彼方にあるのかもしれない。でも自分で歩くことを決めた金渕さんは空飛ぶごぼうと一緒に一歩一歩、確実に夢に近づいている。
絵本をプレゼントしたいと語る金渕さんの最高の笑顔。金渕さんの笑顔の輪を広げるために空飛ぶごぼうは大空のまち三沢市から羽ばたいていく。
ライターメモ
インタビューやSNSを通じて金渕さんの表現力には本当に驚かされた。取材前にごぼう de tea timeのSNS投稿を読んでいたら、ごぼう茶を抽出している場面が(本当に失礼な表現ですが)おとぎ話の魔女が怪しい薬を煮ているかのような口調に感じてついニヤっとさせられた。フォローボタンを押してしまったのは言うまでもない。
インタビュー中も「雨の日のごぼう畑では、大きく開いた葉っぱの陰からごぼうの妖精が出てきそう」というお話を聞かせていただいた。金渕さんの言葉選びはつい興味を惹かれてしまうことが多く、ライターとして非常に勉強になった。ごぼう畑の画像を検索してみたが、言われてみれば確かに大きな葉っぱの陰から妖精が出てきそうな幻想的な風景だった。ライターとして負けていられないと思った。
ちなみにSNSでは随時ごぼう茶の改良報告が行われている。私たちが伺った際に頂いたごぼう茶はNo.026番のごぼう茶だった。非常にごぼうの香りが香ばしく美味しかったのだが、金渕さんはまだまだ納得していない様子だった。果たしてごぼう茶の型番は何番まで伸びるのだろうか。